
初級9
現代史・国際政治
冷戦
編集部
二つの世界大戦は、20世紀前半に起きた人類史上最大規模の戦争です。帝国主義・ナショナリズム・同盟体制が絡み合い、1914年のサラエボ事件を契機に第一次大戦が勃発。その未解決の矛盾が第二次大戦へとつながりました。このスライドでは、両大戦の原因・経過・結果と歴史的意義を解説します。
第一次世界大戦に向かった背景には複数の緊張がありました。急速な工業化と経済成長、帝国の拡大と列強の対立、各国の利害と不信が積み重なる不安定な平和という時代状況があります。ナショナリズムの高まりが列強の対立を激化させ、植民地や勢力圏を求める帝国主義の競争も対立を深めました。安全保障名目で組んだ同盟体制が対立の固定化と連鎖を生み、軍拡競争が続きました。そして1914年のサラエボ事件でオーストリア=ハンガリーの皇太子が暗殺されたことが点火役となり、同盟の連鎖によって4週間で主要国が参戦する全面戦争へと発展しました。第一次世界大戦は複数の緊張が重なって起きた「偶然ではない戦争」でした。
1914年に同盟国と協商国の対立がついに全面戦争に発展しました。西部戦線では塹壕が固定化され膠着した状態が続き、東部戦線では広大な地域での機動戦が行われました。新兵器として機関銃・毒ガス・戦車・飛行機が登場し戦争の様相を一変させました。国家が経済・資源・人を全動員する総力戦となり、工場の軍需生産・女性の工場労働・プロパガンダの活用など社会全体が戦争に巻き込まれました。兵士と民間人合計千万人を超える未曾有の人的被害をもたらし、1918年に連合国の優位で休戦となりました。第一次世界大戦は社会全体を巻き込む「総力戦」の時代を開きました。
第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制は、懲罰的平和・民族自決・国境の再編を基本方針としていました。1919年にドイツと締結されたヴェルサイユ条約は賠償・軍縮・領土割譲などを規定し、ドイツの軍備・産業・権益を大幅に制限しました。またオーストリア=ハンガリー帝国などの解体でポーランドなど新国家が誕生し、紛争を仲裁する国際機関として国際連盟が設立されました。しかしドイツの強い反感と不満、民族自決がアジア・アフリカの植民地には適用されなかったこと、アメリカの不参加、国際連盟の実効力の弱さなどの限界もありました。ヴェルサイユ体制は平和を目指しましたが、その不満と矛盾が次の危機の種にもなりました。
戦間期には1920年代の繁栄の裏で経済・政治・社会のひずみが世界各地に蓄積していきました。不平等・過剰生産・植民地支配への反発・民族・国境問題などが各国の不安定化を招きました。1929年の世界恐慌で経済が崩壊し、失業と社会不安が高まるとファシズム・ナチズムが台頭しました。日本・イタリア・ドイツが国際秩序を無視した侵略行動を拡大させる中、国際連盟は満州事変・エチオピア侵攻・ラインランド進駐などの侵略を止められず機能停止に陥りました。戦間期は経済危機と政治的急進化が重なり、第二次世界大戦への道を開きました。
第二次世界大戦への道は、侵略を止められなかった国際社会の失敗の積み重ねで開かれました。1931年の満州事変で日本が満州を占領し、1935年のエチオピア事件でイタリアが侵攻、1936年のラインランド進駐でドイツがヴェルサイユ条約を無視しました。1938年のミュンヘン会議では英仏の宥和政策が失敗しドイツのオーストリア併合を許してしまいました。1939年に独ソ不可侵条約が締結され、同年9月にドイツがポーランドに侵攻して英仏が宣戦布告し第二次世界大戦が始まりました。集団安全保障の失敗、国際連盟の無力化、信頼の欠如と対立の深刻化が戦争を招いた要因でした。
第二次世界大戦は欧州とアジア・太平洋の両戦線で戦われました。欧州ではドイツの電撃戦により多くの国が陥落し、スターリングラードなどの激戦を経て連合国が反撃しました。アジア・太平洋では日本の進攻により広範囲で戦闘が広がり、1941年の真珠湾攻撃でアメリカが参戦して世界規模に拡大しました。ホロコーストをはじめとする人道的犯罪、民間人への無差別爆撃、科学技術の総動員、原子爆弾の投下など人類史上最大規模の破壊がもたらされました。1945年にドイツ・日本が相次いで無条件降伏し、数千万人の死者という甚大な被害をもたらした戦争が終結しました。
第二次世界大戦後、平和と安全の確保・復興と経済の安定・未来の戦争の防止という課題に応えるための新しい国際秩序が形成されました。平和と安全を守るための普遍的な国際機関として国際連合が設立され、IMF・世界銀行を中心にブレトンウッズ体制が構築されました。ニュルンベルク・東京裁判では戦争犯罪・人道に対する罪として指導者が裁かれ、「世界人権宣言」(1948年)によって人権尊重が国際規範となりました。この戦後秩序は、集団安全保障・経済協力・国際法と人権という柱で平和維持と経済安定を同時に目指す新しい国際制度として築かれました。
第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦は政治・経済・軍事・イデオロギーの対立を深めました。核兵器の保有により直接戦争は回避されましたが、影響圏の争いと対立が世界に広がりました。自由主義(資本主義)と社会主義のイデオロギー対立が世界の分断を生み、朝鮮やベトナムなどで代理戦争・地域紛争が発生しました。一方アジア・アフリカでは植民地支配が終焉を迎えて多くの独立国家が誕生し、どちらの陣営にも属さない第三世界・非同盟の選択が広がりました。戦後世界は米ソの二極構造の下で動きつつ、独立国家の増加によって新しい世界政治へと広がっていきました。
今回は二つの世界大戦についてお伝えしました。二つの世界大戦は国際協調の必要性を示し、総力戦が国家と社会を変えました。国際連盟の失敗を教訓に国際連合が設立され、戦後秩序は経済と安全保障を一体で考える仕組みとして築かれました。冷戦と脱植民地化がその後の現代世界を広げていきました。第一次世界大戦からヴェルサイユ体制・第二次世界大戦・国際連合の成立・冷戦と脱植民地化という歴史の流れが今日の国際秩序の土台となっています。二つの世界大戦を学ぶことは、現代国際秩序の成り立ちとその脆さの両方を理解することにつながります。