
中級3
熱力学・情報理論
エントロピーとは何か
編集部
熱力学第2法則を破るように見える小さな悪魔——マクスウェルが1867年に提唱した有名な思考実験。分子を選別するだけでエントロピーが減るように見えるのはなぜか?その謎を解く鍵が「情報」にあることを、ランドアウアーの原理とともに解説します。
熱力学第2法則を理解するには、まずエントロピーという概念が欠かせません。孤立した系では全体のエントロピーは自然に増大し、熱は高温から低温へ自発的に流れます。また分子は放っておくと混ざり合い、乱雑さが増えていきます。エントロピーとは、この乱雑さを表す指標です。
思考実験の舞台装置はこうです。まず、箱は仕切りで左右2つの部屋に分かれており、中央には小さな扉があります。そして「悪魔」と呼ばれる存在が、分子1つ1つの速さを見分けられると仮定します。悪魔はその扉を開閉して、通過する分子を選別することができます。
悪魔は分子を選別して温度差を作ります。まず速い分子だけを高温側へ通し、次に遅い分子だけを低温側へ通します。この操作を繰り返すことで、やがて左右に温度差が生まれます。外からエネルギーを加えていないのに、自然と高温側と低温側が分かれてしまうように見えます。
この操作が問題なのは、外から仕事をしていないように見えるにもかかわらず、高温側と低温側が分かれてしまうからです。温度差ができれば、そこから仕事を取り出せそうに見えます。つまりエントロピーが減ったように見え、熱力学第2法則に反するように思われます。本当に第2法則は破れるのでしょうか?
この謎を解くカギは「情報」にあります。悪魔は分子の速さを観測し、通すか止めるかを判断し、その結果を記録・記憶します。しかし重要なのは、観測と記憶もまた物理過程であるという点です。情報を処理するためには、必ずエネルギーが必要になります。
1961年、物理学者ランドアウアーは重要な原理を発見しました。情報の消去には最低限のエネルギー散逸が必要で、1ビット消去の下限はkT ln2(kはボルツマン定数、Tは絶対温度)であることを示しました。記憶をリセットすると熱が発生し、エントロピーが増大します。情報処理には、見えないコストが必ずかかるのです。
現代物理学の結論は明快です。悪魔だけを切り離して考えると第2法則が破れるように見えますが、系・記憶・消去まで含めて全体で考えると、エントロピーは減りません。気体の分子運動によるエントロピー、記憶の情報量に対応するエントロピー、そして消去に伴う熱放出によるエントロピー増大を合わせると、全体では第2法則は守られています。
マクスウェルの悪魔は、熱力学と情報理論を結びつけた画期的な発想でした。この問いはシラードのエンジンなどの研究につながり、さらに計算機・ナノマシン・量子情報にも影響を与えました。「情報は物理である」という視点を与えた点で、現代科学の根幹に関わる思考実験です。
今回は、熱力学と情報理論の関係を問うマクスウェルの悪魔についてお伝えしました。悪魔は分子を選別して温度差を作り、一見すると第2法則に反するように見えます。しかし観測・記憶・消去には必ずエネルギーコストがかかるため、全体ではエントロピーは減らず第2法則は破れません。情報もまた物理現象であることを示したこの思考実験は、今も重要な意味をもち続けています。