1564年ピサで誕生。1580年代に数学と自然研究に関心を持ち、1609年に望遠鏡を改良、1610年に木星の衛星を発見、1633年に宗教裁判を受け、1642年に死去。ガリレオは観測と理性によって自然の真理を探ろうとした科学者であり、その生涯は科学の発展と信念の大切さを示している。
ガリレオは観測の精度を大きく高めた。月の表面はなめらかではなく山や谷があること、天の川は無数の星の集まりであること、木星のまわりを回る衛星があること、金星の満ち欠けなどを発見・観測した。対物レンズと接眼レンズを組み合わせた望遠鏡で遠い天体を大きく観測できるようになり、「見る」ことが理論を変える力となった。
天動説は地球が宇宙の中心ですべての天体が地球のまわりを回るとする考え方で、昔から広く信じられていた。地動説は太陽が宇宙の中心で地球を含む惑星が太陽のまわりを回るとする考え方で、コペルニクスが提唱しガリレオが観測で支持した。ガリレオ自身が最初に地動説を考えたわけではないが、観測結果で強く後押しした。
1610年、ガリレオは木星のまわりを回る4つの衛星(イオ・エウロパ・ガニメデ・カリスト)を発見した。望遠鏡観測の代表例であり、地動説を考えるうえで重要な証拠となった。木星のまわりを回る天体があるなら、すべてが地球のまわりを回るわけではないことが示された。
金星の満ち欠けは細い三日月から満ちた形まで変化し、地動説のほうが説明しやすい。太陽黒点は日によって位置や数が変わり、太陽も変化する天体であることを示した。これらの観測結果は「天は完全不変」という古い世界観に疑問を投げかけた。
「重い物ほど速く落ちる」という常識を疑い、斜面を使った実験で物体の動きを実験で確かめた。重さだけで落下の速さが決まるわけではなく、落下距離は時間の二乗に比例することを示した。のちのニュートン力学につながる基礎を築いた。ここでも大切なのは「権威より実験」という姿勢。
地動説を支持する考えを広めたガリレオは、教会の伝統的な宇宙観と対立した。1633年に異端の疑いで裁判を受け、有罪判決を受けて自宅軟禁となった。当時は宗教・権威・学問が強く結びついており、科学と宗教の単純な対立だけではなく時代背景も重要。
観測の重視(実際に見て確かめる姿勢)、実験の重視(自然を測り比べ再現する)、数学で表す発想(自然現象を数式で理解する)、科学的方法の発展(近代科学の基礎へつながる)という4つの遺産を残した。「思い込みではなく確かめることが大切」という姿勢を広め、観察→仮説→実験→検証という流れを確立した。
①望遠鏡観測で宇宙観を変えた。②木星の衛星や金星の満ち欠けを観測した。③落体と運動を実験で研究した。④宗教裁判を受けても研究を続けた。⑤近代科学の出発点に大きく貢献した。ガリレオの重要性は新しい答えだけでなく「どう確かめるか」を示したことにある。