
中級5
古代ギリシャ・民主政の源流
ソロン
編集部
紀元前5世紀のアテネを率い、民主政治を完成させたペリクレスです。パルテノン神殿の建立やソクラテス・ソフォクレスらを育んだ「黄金時代」を築いた一方、デロス同盟の帝国化やペロポネソス戦争の遠因となった功罪両面を持つ政治家の全貌に迫ります。このスライドでは、時代背景・民主政治の発展・文化政策など、10枚のスライドでわかりやすく解説していきます。
ペルシャ戦争でのギリシャ勝利後、アテネが地中海の覇権を確立しました。紀元前461年にペリクレスが政界の実権を握り、アテネ黄金時代が始まります。ペロポネソス戦争(前431年)まで約30年間、アテネは文化・政治・経済の中心地として繁栄しました。
ペリクレスは民会の権限を強化し、公職への参加に対する日当(報酬制度)を導入することで、貧しい市民も政治に参加できる環境を整えました。裁判員への報酬も設け、アテナイ民主政を実質的に機能させました。ただし参加できたのはアテナイ生まれの成人男性市民のみで、女性・奴隷・在留外国人は除外されていました。
ペルシャへの対抗として結成されたデロス同盟の金庫を、ペリクレスはデロス島からアテネへ移転しました。加盟都市国家の資金をアテネの建設事業に流用し、同盟を事実上のアテネ帝国へと変質させました。この行為は後に大きな批判を浴び、ペロポネソス戦争の一因となりました。
ペリクレスはアクロポリスの大規模再建を主導し、紀元前447〜432年にかけてパルテノン神殿を建設しました。彫刻家フェイディアスに内部の巨大アテナ像の制作を依頼し、アテネの威信を高めると同時に、多くの市民に雇用をもたらしました。
ペリクレス時代のアテネでは、悲劇(ソフォクレス・エウリピデス)・喜劇(アリストファネス)・歴史叙述(トゥキュディデス・ヘロドトス)・哲学(ソクラテス)が花開きました。この時代に生み出された芸術・思想は後の西洋文明の基盤となり、「西洋文化の揺りかご」とも称されています。
ペロポネソス戦争初年(前430年)の戦没者を悼む葬送演説は、トゥキュディデスの『歴史』に記録されています。「我々は、少数者でなく多数者の利益に基づく政体を持つ」と述べ、民主主義の理念を高らかに宣言しました。個人の自由と国家への奉仕の両立を訴えたこの演説は、民主主義思想の原典として今も参照されています。
前431年、スパルタ率いるペロポネソス同盟とアテネの戦争が勃発しました。ペリクレスは海軍力によるアテネ防衛戦略を採り、陸上での衝突を避けました。しかし前430年に疫病がアテネを直撃して市民の多くが死亡し、ペリクレス自身も前429年に疫病で死去しました。享年は65歳前後とされています。
ペリクレスの功績としては、アテナイ民主政の完成・パルテノン神殿を中心とするアクロポリス整備・文化と哲学の隆盛が挙げられます。一方で批判もあり、デロス同盟資金の流用による同盟国の反感、スパルタとの緊張を高めた外交政策、ペロポネソス戦争の開戦責任が問われています。後の民主主義思想に多大な影響を与えつつも、帝国主義的な側面も持ち合わせていました。
今回はペリクレスの生涯と功績についてお伝えしました。アテナイ民主政を完成させ、西洋文化の黄金時代を築いた政治家として歴史に名を刻んだペリクレス。パルテノン神殿が建立され、ソクラテス・ソフォクレスらが活躍したこの時代は、今も人類の文化的遺産の源泉となっています。