当時は「授乳する人に愛着が生まれる」という考えが支配的でした。しかし母子関係には食事以外の要素もあるのではないかという疑問が生まれ、ハーロウは安心感やぬくもりの役割を確かめたいと考えました。そこで子ザルが何を「母らしさ」として選ぶかを実験で観察することにしたのです。
実験では2種類の代理母が用意されました。針金の母は金網で作られ哺乳瓶が取り付けられた授乳できる母、布の母はやわらかい布で覆われぬくもりを感じやすい母です。子ザルをこの2つの代理母がある環境で飼育し、どちらをより好むかを観察しました。条件によっては授乳役が針金の母と布の母の間で入れ替えられました。
まず生まれたばかりの子ザルを母ザルから離し、針金の母と布の母を置いた環境で育てました。次に、どちらの代理母と長く過ごすかを継続的に記録しました。さらに、驚かせる刺激を与えたときに子ザルがどちらへ駆け寄るかも観察しました。こうして「安心感の源」がどちらの母にあるかを明らかにしていきました。
授乳を針金の母が担当していても、子ザルは多くの時間を布の母と過ごしました。食事のためだけに針金の母へ行き、普段は布の母にしがみついていたのです。このことから、子ザルが安心できる対象として布の母を選んでいることが明確になりました。「食べ物を与える存在」よりも「ぬくもりを与える存在」が愛着の対象として選ばれたのです。
新しい環境に置かれて不安を感じると、子ザルは布の母のもとへ駆け寄ってしがみつきました。布の母に触れると落ち着きを取り戻し、その後で周囲を探索する行動が観察されました。この「安心基地(secure base)」として機能する存在こそが、子どもの探索行動と情緒的安定を支えるという重要な知見が得られたのです。
この実験が明らかにしたのは「接触快」の重要性です。接触快とは、触れられる安心感やぬくもりそのものが心を支えるという考え方です。愛着は「授乳」だけでは説明できず、やわらかさ・ぬくもり・抱きつけることが乳児にとって不可欠です。接触による安心が心を前向きにし、探索行動や情緒・認知の健やかな発達につながるのです。
この実験は心理学に大きな影響を与えました。まず、母子関係は「栄養」だけでなく「情緒的な結びつき」が重要だと示し、愛着理論を考えるうえでの重要な実証資料となりました。また乳幼児保育や養育環境の見直しにも影響を与え、人間の発達研究でも「安心できる養育者」の重要性が重視されるようになりました。
この実験は現代では強い倫理的批判を受けています。子ザルを母親から引き離すこと自体が大きなストレスであり、孤立や恐怖を伴う条件は動物福祉の観点から問題視されます。現在の研究倫理では動物への苦痛をできるだけ減らすことが重視されており、重要な知見を残した一方で、その方法には深い反省が必要とされています。
今回はハーロウの代理母実験についてお伝えしました。子ザルは食べ物だけでなく安心感を求め、やわらかく触れられる存在が愛着形成に重要でした。不安なときの「安心基地」が探索行動を支え、この実験は愛着研究に大きな影響を与えました。同時に動物実験の倫理を考えさせる研究でもあり、人は「世話」だけでなく「安心して寄り添える関係」を必要とすることを私たちに教えています。