
中級3
日本経済・現代史
日本経済「失われた30年」の真因
編集部
1929年ウォール街の株価大暴落に端を発した世界恐慌についてご紹介します。バブルの形成から銀行危機・大量失業・政治不安まで、世界中を飲み込んだ経済崩壊のメカニズムと各国の対策を図解でわかりやすく解説します。このスライドでは、世界恐慌の背景・何が引き金になったのか・銀行危機と信用収縮・企業倒産と大量失業など、10枚のスライドでわかりやすく解説していきます。
1920年代のアメリカでは、大量生産と大量消費が広がり株式市場が活況を呈していました。ローンの普及で自動車なども気軽に買えるようになり、借金を使った投機が広がることで株価は実態以上に上昇していきました。一方で所得格差や農業不況など見えない問題も広がっており、好景気の裏で崩れやすいバブルがふくらんでいたのです。
1929年10月24日、いわゆる「暗黒の木曜日」に株価が急落し、パニックな売りが連鎖しました。不安は全国へ拡大し、市場はほぼ機能停止となりました。市場心理が一気に冷え込んだことで経済全体が崩れ始め、株価の暴落が世界恐慌の出発点となりました。
株価の下落で損失が広がり、銀行が次々と破綻しました。預金者が不安になって預金を一斉に引き出す取り付け騒ぎが起き、貸し出しが停止して企業や家計にお金が回らなくなりました。こうしてお金の流れが止まり、不況がさらに深刻化していきました。
金融危機は実体経済にも深刻な打撃を与えました。売れ行きの悪化で工場の稼働率が低下し、企業の倒産が相次ぎました。解雇が続いて多くの人が仕事を失い、消費がさらに落ち込む悪循環に陥りました。不況は産業と雇用を直撃し、人々の生活を苦しくしました。
アメリカの危機はヨーロッパ・アジア・アフリカ・中南米へと連鎖しました。アメリカの資金引き上げにより各国経済も打撃を受け、保護貿易が広がることで世界貿易も落ち込みました。世界経済がつながっていたために、不況は国境を越えて連鎖的に拡大していったのです。
仕事がなく収入が減り、職業紹介所に多数の求職者が並ぶようになりました。食料や住まいに困る人が増え、慈善活動や給食所が各地に広がりました。将来への不安や不満が社会全体に広がり、経済危機は人々の生活そのものを揺るがしました。
経済不況により失業と貧困が広がると、政治への不信が強まりました。強い指導者や急進的な主張が支持を集め、社会は極端な方向へ動き始めました。また各国の対立が深まり、国際緊張が高まりました。経済不況は政治と国際秩序にも大きな影響を与えたのです。
各国政府は不況を立て直すために積極的な経済対策を講じました。アメリカではルーズベルト大統領がニューディール政策(1933年〜)を実施し、公共事業の拡大と雇用創出で景気回復を目指しました。また銀行制度の立て直しや規制強化も進められました。政策の内容は各国で異なりましたが、国家が経済に積極的に関わる流れが強まっていきました。
今回は世界恐慌についてお伝えしました。バブルの崩壊が銀行危機・失業の拡大・政治の不安定化へとつながるこの歴史は、現代にも通じる重要な教訓を持っています。市場の過熱に注意すること、金融の安定が経済の土台であること、不況対策では人々の暮らしを守ることが欠かせないこと、そして一国の危機が世界に波及することがある——これらは今も変わらない教訓です。