大化の改新の前、ヤマト朝廷では豪族が強い力を持ち、政治に大きな影響を与えていました。この蘇我氏は勢力を伸ばし、天皇の権威はまだ十分に中央へ集中していませんでした。勢力関係:天皇→蘇我氏(朝廷内での勢力・地方行政の管轄)→地方豪族。ここがポイント!①ヤマト政権では豪族が大きな力を持っていた ②蘇我氏は朝廷内で強い影響力を持った ③政治の立て直しが求められていた。時代の目安:6世紀末〜7世紀前半。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我入鹿を討つ政変を起こしました。この政変を「乙巳の変」と呼び、蘇我氏の支配を終わらせ、改革への道を開きました。行動の流れ:①計画(中大兄皇子と中臣鎌足が謀議する)→②宮中での政変(645年、乙巳の変の日、宮廷で蘇我入鹿を斬る)→③改革開始(蘇我氏の支配が終わり、改革が始まった)。ここがポイント!①乙巳の変は改革の直接の契機となった ②蘇我氏の勢力が大きく後退した ③新しい政治体制づくりが始まった。皇極天皇の時代に起こった政変で、蘇我入鹿が打倒された。
中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデターの後、政治のしくみを立て直すため、中央の力を強めるための改革方針を「改新の詔」として発表しました。改革の4柱:①公地公民(土地と人民を国家のものとする)②国・郡・里の整備(地方行政の再編)③戸籍の作成と班田(人民の把握と土地配分)④新しい税の仕組み(租・庸・調の整備)。統治のしくみの転換:Before(豪族中心)→After(国家中心)。豪族中心の政治から、国家中心の統治へ転換しようとした。
公地公民は、大化の改新の重要な理念の一つです。これまで豪族が私的に支配していた土地や人民を、国家のものとし、天皇を中心とする統一的な支配のもとに置こうとする改革でした。改革前:豪族が私有地(田園)・私有民(部民)を支配→改革後:国家が土地(田園)・人民(民衆)を統一的に管理。ここがポイント!①豪族の私有地・私有民を縮小 ②天皇中心の支配体制を強化 ③中央集権国家への重要な一歩。実際には一度に完成したわけではなく、後の制度整備につながった。
大化の改新では、地方の支配を強化するために、国・郡・里という行政単位に再編しました。中央政府が直轄し、各地を管轄して仕組みを整えることを目的としました。行政の階層構造:中央政府→国→郡→里(中央から里まで、段階的に統治が行き届く仕組みを整えた)。ここがポイント!①地方行政を段階的に管理 ②豪族ではなく、国家の統治を強める ③後の地方制度の基礎となった。※地方の実態整備は段階的に進められ、地方豪族が郡司として役割を担うこともありました。
国は、人民の数や土地の広さを正確に知る必要がありました。そのため、戸籍を整えて人民を把握し、土地を均等に分ける班田収授の考え方を進めることが重要になりました。戸籍(人口を把握する名簿)・班田(口分田を配る仕組み)。ここがポイント!①人民を国家が直接把握する ②土地配分の基礎を整える ③税と労役の公平化をめざす。班田収授法は後の律令制によって明確に整備されました。
中央に権力を集めた国家を維持・運営するには、安定した財政の確保が必要でした。その改革の方向性は、後に「租・庸・調」と呼ばれる制度へとつながりました。①租(田からの収穫の一部)②庸(労役代わりの負担)③調(地方の特産物などの納入)。ここがポイント!①国家財政を支える仕組み ②全国から資源を集める ③中央集権国家の運営に必要だった。これらの制度は、後の律令制のもと、より明確に整えられていきました。
大化の改新は、すべてを一度に完成させたわけではありません。しかし、権力を天皇中心に集め、国家の仕組みを整える大きな転換点となり、その後の律令国家へとつながっていきました。改革の流れ:乙巳の変→改革開始→中央集権化→律令国家へ。大化の改新がもたらした影響:①天皇中心の政治を強化 ②蘇我氏勢力を後退させた ③律令国家の基礎を整えた ④大宝律令へつながった。変わったこと:豪族が土地と人民を支配→天皇が土地と人民を支配、氏族ごとにばらばらの政治→中央政府が統一・組織的な統治、税や労役のしくみが不統一→全国で統一的な税制が運営される、地方の支配がゆるやか→国・郡・里の仕組みを整備。
大化の改新は、645年に蘇我氏が滅んだ後に始まった政治改革です。中大兄皇子と中臣鎌足が中心となり、天皇を中心とした中央集権的な国家をつくることを目指しました。大化の改新の流れ:背景(蘇我氏の台頭)→乙巳の変(蘇我氏を打倒する政変)→改新の詔(新しい政治のしくみへ)→律令国家へ。5つのポイント:①645年に始まった政治改革 ②中大兄皇子・中臣鎌足が主導 ③公地公民をめざした ④地方行政と税制を整備 ⑤後の律令国家の基礎となった。覚えておきたいキーワード:乙巳の変、改新の詔、公地公民、国郡里、律令国家。