紀元前145年頃、現在の陝西省・龍門に生まれる。20歳頃から中国各地を遊歴し、地理・人物・伝承を調査。父・司馬談から歴史書完成の志を受け継ぎ、前漢の武帝時代に太史令に就任。紀元前99年の李陵事件で宮刑に処せられるも執筆を継続し、晩年に『史記』を完成させた。
父・司馬談は前漢の太史令として歴史書の編纂を志したが、未完のまま没した。臨終の際に司馬遷に「歴史書を必ず完成させよ」と遺言を残し、司馬遷はその意志を受け継ぎ「命に懸けて成し遂げる」と誓った。この父子の志の継承が、『史記』誕生の原点となった。
紀元前99年、将軍・李陵が匈奴に降伏した際、司馬遷は李陵を弁護したことで武帝の逆鱗に触れ投獄された。死刑か宮刑(去勢)かの選択を迫られ、『史記』完成のために宮刑を選んだ。この屈辱的な体験は彼に「人固有一死、或重於泰山、或軽於鴻毛(人はいつか必ず死ぬ。泰山より重い死もあれば、鴻毛より軽い死もある)」という言葉を残させた。
『史記』は全130巻、約52万6500字の大著。五つの部門で構成される:本紀(12巻・帝王の記録)、表(10巻・年表)、書(8巻・制度・文化・天文等の記録)、世家(30巻・諸侯の記録)、列伝(70巻・個人の伝記)。この「紀伝体」という形式は後の正史編纂の標準となった。
黄帝などの伝説の王から漢の武帝まで約3,000年にわたる歴史を一つの流れとして描く時代の広さ。帝王・軍人・政治家・学者・遊侠・商人など多彩な人物を生き生きと描く人物描写。会話やエピソードを豊かに取り入れたドラマのような物語性。政治・経済・文化・思想・軍事を網羅する歴史の総合性。歴史を年表だけでなく、人間ドラマとして描いた。
司馬遷は単に出来事を並べるだけでなく、人の動機や性格、盛衰の原因、そして個人と時代の関係を深く見つめ、歴史の本質を探ろうとした。英雄や凡人の行動・決断・性格に光を当て人間の本質を掘り出す「人物への注目」、国家や家の盛衰には必ず原因があると捉える「盛衰の因果」、伝承・史料を史実に基づいて確認する「史実への探究」という三つの視点を持った。歴史とは、出来事の記録であると同時に、人間理解でもある。
項羽:楚の名将。勇猛にして情に厚く、悲劇的な最期を遂げた。劉邦:漢の高祖。民衆の支持を得て天下を統一し、漢王朝を築いた。孔子:儒教の祖。弟子との対話を通じて思想と人間の理想を示した。荊軻:燕の刺客。王命を受け、秦王への刺殺を試みた。多様な人物伝が『史記』の魅力を高めている。
『史記』は後漢の『漢書』以降「二十四史」と呼ばれる中国の正史の基本形(紀伝体)となった。東アジア全域に広く影響を与え、日本においても教育・文学・歴史書に広く影響を与えた。単なる歴史書を超え、文学作品としても高く評価されている。
司馬遷から学べること:困難の中でも命を貫いた(李陵事件で宮刑という屈辱を受けながら、歴史を書き続けるという使命を最後まで諦めなかった)、『史記』で歴史の見方を変えた(人間を軸にドラマとして描く歴史観を開いた)、後世に長く影響を与えた(中国の歴史書の基本形となり、多くの学者や文人・思想家に影響を与え続けている)。キーワード:太史令・李陵事件・宮刑・『史記』・紀伝体。