19世紀半ば、日本は大きな変化の時代に入った。黒船来航以来さまざまな勢力が幕府と対立し、京都では事件や争いが絶えず都の安全が脅かされた。尊王攘夷派と佐幕派の対立が激化し、暴力事件が頻発した。新撰組はこの混乱の中で京都の治安を守る役割を担った。
1863年、将軍警護のため浪士組が集められ京都へ向かった。江戸への帰京を命じられた際に一部の浪士が京都に残ることを選び、壬生浪士組を経て「新撰組」と名乗るようになった。新撰組は、京都に残った浪士たちから始まった。
近藤勇(局長):武士らしさや礼儀を重んじ、強い意志と信念で行動した。土方歳三(副長):組織の規律と戦いの管理に優れ、内外の秩序を支えた。沖田総司(一番隊組長):優れた剣の使い手として知られる。斎藤一(監察):冷静で規律を重視する人物。芹沢鴨(初期の中心的人物):組の誕生当時に関わり後に除かれた。個性の強い人物たちが新撰組の歴史を形づくった。
明確な組織と厳しい規律のもとで行動した武装集団。局長・副長・隊長・隊士という上下関係を徹底した。「局中法度」は:①勝手に屯所を離れない ②命令違反を厳しく処する ③武士としての規律を重視する ④誠の精神を大切にする、といった内容だった。厳しい規律こそが新撰組の強さの土台だった。
新撰組の主な役割は京都の治安を守ること。①京都市中の見回り(不審な人や動きを警戒)②不穏な動きの情報収集 ③尊王攘夷派の取り締まり ④将軍や幕府関係者の警護。幕府が設置した「京都守護職」の配下として、特に会津藩の支援を受けながら活動した。その厳しい取り締まりから「鬼の集団」と恐れられる一方で一定の信頼も集めた。
1864年、京都の池田屋に尊王攘夷派の計画を察知した新撰組が踏み込んだ。事前の情報収集をもとに少人数で突入し、京都での大火や混乱を防いだとされる。この事件で新撰組の名が全国に広まり、歴史の表舞台に押し上げた。
1860年代後半、幕府の力は急速に弱まり倒幕の動きが全国に広がった。鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れ、新撰組も京都を離れ各地で転戦することになった。新撰組の衰退は個人の問題よりも時代の転換と深く結びついていた。
1868年、戊辰戦争が始まると新撰組は旧幕府軍として出撃した。京都→江戸→宇都宮→会津→箱館と転戦した。近藤勇は処刑され、土方歳三は各地を転戦し1869年の箱館戦争のさなかに戦死した。土方歳三の最期は新撰組の象徴的な終幕として語り継がれている。
新撰組は幕末の激動を象徴する存在として今も人気が高い。①京都の治安維持に大きな役割を果たした ②厳しい規律と強さで知られた ③幕府とともに衰退した ④小説・漫画・ドラマなどで幅広く親しまれている。新撰組を知ることは、幕末という時代のドラマを知ることでもある。