
初級5
中南米三大文明
マヤ・アステカ・インカ文明
編集部
紀元前2000年ごろから中米のユカタン半島を中心に発展したマヤ文明は、独自の文字・20進法・精緻な暦など高度な知識体系を誇りました。都市国家が分立しながら繁栄し、その文化は現代のマヤ系の人々の生活にも受け継がれています。このスライドでは、地理と自然環境・都市国家と主要都市・社会と政治・農業と交易など、10枚のスライドでわかりやすく解説していきます。
マヤ文明はユカタン半島・グアテマラ・ベリーズ周辺の熱帯林・石灰岩地帯に広がりました。川が少ない地域のため、セノーテと呼ばれる天然の井戸や雨水の利用が重要でした。熱帯林地帯には豊かな植生と生物多様性があり、石灰岩地帯にはセノーテが多く存在します。乾季と雨季があるため雨水の確保が鍵となっており、主な農作物はトウモロコシ・豆・カボチャでした。この自然環境がマヤ文明の農業と生活の基盤となっていました。
マヤは統一帝国ではなく、都市国家が並立する形で発展しました。ティカル・パレンケ・コパンなどがそれぞれ独自の王家と神殿群を持ちながら繁栄していました。ティカルはグアテマラ北部のジャングルに栄えた巨大都市で、高さ70mを超える神殿が特徴です。パレンケはメキシコ南部に位置し、石造建築と精緻なレリーフで知られる文化・芸術の中心地でした。コパンはホンジュラス西部にあり、精巧な石彫りと長期にわたる王家の記録が残っています。
マヤ社会は王・貴族・神官・民衆による階層構造で成り立っていました。王は宗教的権威も持ち、貴族や神官が政治と祭祀を担いました。職人・商人・農民が社会を支え、民衆・労働者が日々の農業と共同体の信仰を担いました。戦争や同盟が都市間の関係を左右する場合も多く、各都市国家がそれぞれの独立性を保ちながらも互いに影響し合っていました。
マヤの主食はトウモロコシで、豆・カボチャも重要な作物でした。焼畑や段々畑などを利用して農業を行い、黒曜石・カカオ・翡翠・塩などを交易品として遠距離交易で都市を結びました。マヤの主な交易ルートはユカタン半島とグアテマラ・ホンジュラス方面を結ぶ陸路・海路でした。こうした交易ネットワークが都市国家どうしの経済的つながりを生み出していました。
マヤでは多神教が根付いており、雨の神チャーク、太陽神キニチ・アハウ、トウモロコシの神コム・カアシュなどが信仰されていました。神殿や祭壇で儀礼が行われ、祖先崇拝や天体観測とも深く結びついていました。球技(ポク・タ・ポク)はボールを輪に通す競技で、勝敗が神々や宇宙の秩序と結びついていたと考えられています。神殿では供物や歌をささげ、豊穣や平和が祈られていました。
マヤは高度な記録文化と学問を持っていました。絵と音を組み合わせたマヤ文字は、一つの文字が音や意味を表し数百の文字が使われていました。石碑や書物(絵文書)には王の出来事や戦争・儀式などが記録されています。数学では20進法を用い、世界で最も早くゼロの概念を記号として使用した文明の一つとされています。位取り記数法で大きな数を表し、計算や記録に役立てていました。天文学や暦計算にも優れていました。
マヤは時間を精密にとらえた文明です。神聖儀式に使う260日のツォルキン暦と、農業・農事管理に使う365日のハアブ暦を持っていました。この2つの暦は52年(18,980日)で同じ日に戻ると考えられており、長期暦では長い年代を記録しました。また金星や太陽の動きを精密に観測し、農業や都市の計画に活かしていました。このような高度な天文学的知識はマヤ文明の大きな特徴の一つです。
マヤの建築と芸術は神殿・石碑・壁画に表れた高い美意識を示しています。階段ピラミッドや宮殿を建設し、石碑には王の事績が刻まれました。彩色壁画や彫刻が発達し、球技場も都市の重要な施設として設けられていました。チチェン・イッツァに代表される神殿建築は、天文学的な知識を取り入れた精密な設計でも知られています。
9世紀ごろ南部低地の都市が衰退し始めましたが、その理由は環境・戦争・政治不安など諸説あります。その後も北部や各地で文化は継続し、現代にも多くのマヤ系の人々と言語が残っています。ユカテコ語などマヤ諸語の言語が今も使われており、鮮やかな織物や刺繍などの工芸も受け継がれています。チチェン・イッツァなど多くの遺跡が世界遺産に登録され研究・保存が進んでいます。今回はマヤ文明についてお伝えしました。マヤ文明は終わったのではなく、今も人々のなかで生き続けています。