
初級41
中世英国史・ヴァイキング時代
アルフレッド大王
編集部
18世紀、20代でハプスブルク帝国を継承し列強の挑戦を乗り越えたマリア・テレジアは、行政・財政・教育の大改革を断行し「ヨーロッパの祖母」とも称された女帝です。
1717年にウィーンで誕生したマリア・テレジアは、男子継承者がいなかった父カール6世が「国事詔書」で女子継承を準備していたため、1740年の父の死去後にハンガリー女王・ボヘミア女王として統治を開始しました。20代前半で広大な帝国の統治を担い、即位直後から列強の挑戦を受けながら、1780年に死去するまで40年にわたり統治しました。
マリア・テレジアの継承に列強が異議を唱え、プロイセンのフリードリヒ2世がシレジアへ進軍しバイエルン・フランスなども介入しました。ハプスブルク帝国の存続が問われましたが、ハンガリーの支持を取り付けて帝国の中核を守り抜きました。シレジアの大半は失ったものの君主としての権威を確立しました。
戦争の教訓を踏まえて官僚機構を整えて中央集権化を進め、各地域の統治をより統一的に管理しました。税制を見直して国家財政を強化し、軍制改革で常備軍を整備しました。人口・土地の把握を進めて行政効率を高め、国家の一体化・税収安定・軍事力強化という近代国家への基盤を築きました。
1774年に一般学校令を出して初等教育の整備を進め、読み書きと基礎知識の普及を目指した学校制度を国家のもとで広げました。医療・福祉の整備と農民保護の強化など社会政策も推進しました。国民の基礎教育・行政の近代化・長期的な国力向上という人づくりを国家強化の柱としました。
オーストリアとフランスが接近し、プロイセンとイギリスが結ぶ「外交革命」により従来の対立関係が組み替えられました。失ったシレジアの奪回を目指して七年戦争に臨みましたが、奪回は実現せず戦争は長期化しました。しかしこの経験を通じて外交・軍事改革は着実に進みました。
夫のフランツ・シュテファンとの間に16人の子どもをもうけ、長男のヨーゼフ2世・娘のマリー・アントワネットなどが知られています。婚姻を外交の手段としてヨーロッパ各国との結びつきを強め、ハプスブルク家の影響力をヨーロッパ全体に広げたことから「ヨーロッパの祖母」とも称されました。
啓蒙専制とは、君主が強い権力を持ちながら理性や効率を重視して国家全体の利益のために改革する統治スタイルです。マリア・テレジアは敬虔なカトリック君主として国家と官僚制を重視し教育・行政改革を進めながら、伝統や身分制も重んじる姿勢を保ちました。改革と保守の両面を持つ統治者として近代化と安定を両立させました。
危機の中で帝国を維持し行政・財政・軍事を再編したマリア・テレジアは、教育改革で長期的な基盤を作り王朝の結びつきをヨーロッパに広げました。18世紀の代表的女性統治者として啓蒙専制の重要事例であり、後のハプスブルク国家の発展に大きな影響を与えました。
今回は、マリア・テレジアについてお伝えしました。継承戦争を乗り越えて帝国を守った統治力・行政・財政・教育の改革を実行した実行力・ハプスブルク国家の長期的基盤を整えた歴史的影響という三つの柱が彼女の功績です。国家を守り抜いた強いリーダーシップと幅広い改革の実行力で、歴史に長く続く礎を築きました。