日本が中国の隋に送った使節団。①6〜7世紀ごろ、日本は中国の隋に使節を送った。②目的は、進んだ政治制度や文化を学ぶこと。③日本の国家づくりに大きな影響を与えた。この10枚でわかること:背景・有名な使節・学んだこと・歴史的な意味。
背景には東アジアの変化があった。①589年、隋が中国を統一した。②日本は強い国家づくりを進めたかった。③進んだ制度や文化を学ぶ必要があった。④国際関係の中で日本の立場を高めたかった。当時のキーワード:国家形成・外交・学び。
遣隋使は数回にわたって送られた。600年ごろ最初期の派遣。607年 小野妹子が派遣される。608年 再び使節を続ける。614年ごろ 隋との交流が続く。派遣は一度きりではなかった。往復には長い時間と危険があった。交流は後の遣唐使にもつながる。
遣隋使の航海はとても大変だった。①出発地は主に九州方面。②木の船で海をわたった。③嵐や漂流の危険が大きかった。④到着までに長い日数がかかった。航海の苦労:風・波・距離・食料。到着地は隋の都・大興城。
聖徳太子のことばで知られる外交。日本の天子が隋の皇帝に送った国書として有名。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」。①日本が対等な立場を意識していたことを示す。②隋の皇帝(煬帝)を驚かせたと伝えられる。③遣隋使の象徴的なエピソード。
人と人との交流が外交を支えた。①小野妹子は日本の代表として派遣された。②隋の皇帝(煬帝)と会い、国書を届けた。③のちに隋の使者(裴世清)も日本を訪れた。④外交は人どうしの信頼でも成り立っていた。注目人物:小野妹子・煬帝・裴世清。
遣隋使は多くの知識と文化をもたらした。①政治制度(役所や法の整え方)。②仏教(信仰や寺院文化)。③儒教(えみやど学問)。④暦・文字文化(こよみや記録の方法)。学びが国家づくりを前進させた。
国の仕組みを変えるきっかけになった。①遣隋使で学ぶ→国づくりの考え方が深まった。②制度と文化を持ち帰る→のちの大化の改新や律令国家に影響した。③政治改革が進む→対外意識が強まり外交が発展した。④中央集権国家へ→日本文化の発展にもつながった。
似ているが、時代と役割に違いがある。遣隋使:相手=隋、主な時期=6〜7世紀初め、目的=制度や文化を学ぶ、特徴=国家づくりの出発点。遣唐使:相手=唐、主な時期=7〜9世紀、目的=さらに本格的に学ぶ、特徴=長く続いた大規模な交流。隋は短命だったため、のちに交流の中心は唐へ移った。
遣隋使は日本の未来をひらいた。①遣隋使は日本が隋に送った使節団。②目的は政治制度や文化を学ぶこと。③小野妹子や国書のエピソードが有名。④学んだことは国家づくりに生かされた。⑤のちの遣唐使や日本の発展につながった。外交と学びが、日本を大きく成長させた。