平安時代後期、地方で武士団が成長。荘園の拡大や土地の管理を通じて、武士の力が地域で高まる。朝廷では藤原氏が権力を握る。平氏が宮廷内で権力を握り、政治の実権を掌握する。源氏と平氏の対立が深まる。両者の対立が激化し、各地で戦乱が起こる。平安末・治安の中で武士の力が拡大。戦乱や飢饉の中で、武士が秩序維持や支配の手段として台頭していく。貴族社会(平安時代)から武士社会(鎌倉時代)へ:貴族社会は朝廷・貴族が政治の中心で公家の支配、武士社会は武士が政治を動かし地方へ権力を拡大する。武士の力が高まり、鎌倉幕府の成立へ。
1180年:源頼朝が挙兵。1185年:守護・地頭を設置。1192年:征夷大将軍に任命。鎌倉を本拠地として武士をまとめた。タイムライン:源頼朝が挙兵(1180年)→ 守護・地頭を設置(1185年)→ 征夷大将軍に任命(1192年)。
将軍:幕府の最高権力者として武士を統率。執権(北条氏が担い実権を握る):幕府政治の実権を担い、幕府を支える。幕府の主要機関:侍所(武士の統率・軍事・警察)、政所(財政・行政・経済的実務)、問注所(訴訟・裁判・記録)。地方の支配機関:守護(国ごとに設置され、武士を統率・監督)、地頭(荘園や公領に置かれ、年貢の徴収と地方の管理)。守護・地頭が地方を支配し、幕府の統治を支えた。
幕府と御家人の支え合いのしくみ。御家人は忠誠・軍役で奉公する。幕府は所領を安堵し、新たな土地を与える(御恩)。主従関係が武士社会の基盤となった。奉公:御家人が幕府に対し、忠誠を誓い軍役に従事すること。御恩:幕府が御家人に与える所領の安堵・新たな土地の給付。サイクル:幕府が御恩を与える → 御家人が奉公する → 幕府が御恩を与える(循環)。
頼朝の死後、北条氏が実権を握る。執権が将軍を補佐し、やがて政治の中心となる。1221年:承久の乱で幕府の力が強まる(朝廷側の後鳥羽上皇が倒幕を企てたが失敗し、幕府の力が強まる)。1232年:御成敗式目が制定される(武士のための法律として、社会の秩序を定める)。タイムライン:1221年 承久の乱(朝廷との対立を経て幕府の力が強まる)→ 1232年 御成敗式目の制定(武士のための基本法典として社会の秩序を定める)。
武士に広まった禅宗。浄土宗・浄土真宗・日蓮宗など新しい仏教が広がる。質実で力強い武士文化が発展。運慶・快慶などの仏像彫刻も有名。鎌倉時代に広まった主な宗教:浄土宗(阿弥陀仏を信じ念仏を唱える教え)、浄土真宗(他力本願を重んじた信心中心の教え)、日蓮宗(日蓮が説いた法華経中心の教え)。
1274年:文永の役(モンゴル軍が九州に上陸、博多湾沿岸で戦闘)。1281年:弘安の役(再び大規模な侵攻が行われる)。博多湾沿岸に防塁を築く。てつはうや大軍の襲来に苦しむ。戦後、御家人への恩賞不足が問題となる(御家人の不満が鎌倉幕府衰退の一因に)。
元寇後、幕府の財政は悪化。御家人の不満が高まる。後醍醐天皇が倒幕をめざす。1333年、新田義貞らの攻撃で鎌倉幕府は滅亡。衰退から滅亡へのプロセス:元寇(1274〜1281年)→ 財政悪化と御家人の不満 → 後醍醐天皇の倒幕運動 → 1333年 鎌倉幕府の滅亡(鎌倉)。
日本で初めての本格的な武士政権。武士による政治の仕組みを確立。守護・地頭や御恩と奉公の後の時代に影響。室町幕府・江戸幕府へつながる土台を築いた。鎌倉幕府のあゆみ:源頼朝が鎌倉に幕府を開く(13世紀)→ 北条氏が執権政治(13世紀)→ 御成敗式目の制定(13世紀)→ 元寇との対立(13〜14世紀)→ 幕府の衰退(14世紀)→ 滅亡(1333年)。鎌倉幕府(1185〜1333年)→ 室町幕府(1336〜1573年)→ 江戸幕府(1603〜1868年)。