
初級8
古代ユダヤ・キリスト教の聖典
旧約聖書
編集部
農村の少女が「神の声」に従い百年戦争のフランスを救った——ジャンヌ・ダルクについてお伝えします。オルレアン解放からランスの戴冠式まで奇跡の進軍を果たしながら19歳で火刑に処され、のちに名誉回復されて聖人となった女性の物語を、10枚のスライドで解説していきます。
1412年ごろ、ジャンヌはフランス東部のドンレミ村に生まれたとされています。農民の家に育ち、信仰の篤い少女でした。当時のフランスは百年戦争(1337〜1453年)の混乱の中にあり、村人たちも不安な日々を送っていました。各地で戦いが繰り返され、村々は荒れ、人々は飢えと恐れの中で暮らしていました。
13歳ごろから天の声を聞いたとジャンヌは語りました。聖ミカエル・聖カタリナ・聖マルガリタの声だと信じ、フランスを救い王太子シャルルを正式な王にするよう命じられたと考えました。当時としても特別な話でしたが、彼女の強い確信は多くの人を動かしました。歴史では「信仰」と「政治」が深く結びつくことがあります。
ジャンヌは周囲を説得し、王太子シャルルに会うためにドンレミからおよそ400kmの旅に出ました。1429年、シノンで王太子シャルルと対面したとされています。彼女の熱意や言葉は人々を驚かせ、軍とともに行動する信頼を得ました。この出会いがジャンヌの活躍の出発点となりました。
オルレアンはイングランド軍に包囲され、フランスにとって危機的な状況でした。1429年、ジャンヌは白い旗を掲げて軍とともにオルレアンへ向かいました。フランス軍は勢いを取り戻し包囲は解かれました。この勝利でジャンヌは国中に知られる存在となり、兵士の士気も大きく高まりました。オルレアン解放は戦局が変わる象徴的な出来事となりました。
オルレアン解放の後、ジャンヌたちはランスを目指して進みました。1429年7月17日、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠式が行われました。ジャンヌの活躍は王の正統性を示す後押しとなり、フランス側に「まだ立て直せる」という希望を与えました。戦いの勝利だけでなく、「王として認められること」も重要だったのです。
大きな成果をあげた後も戦争はすぐには終わりませんでした。1430年、ジャンヌはコンピエーニュで戦う中で捕らえられ、ブルゴーニュ派の手に落ち、のちにイングランド側へ渡されました。英雄であっても政治や戦争の流れには逆らえませんでした。オルレアン解放で高まった期待が、戦争の長期化とブルゴーニュ勢力の拡大により崩れていったのです。
ジャンヌはルーアンで異端の疑いをかけられ裁判にかけられました。この裁判は宗教だけでなく政治的な思惑も強く関わっていたと考えられています。1431年5月30日、ジャンヌは19歳で火刑に処されました。しかし彼女の死はかえってその名を広く残すことになりました。
1456年、再審でジャンヌへの有罪判決は取り消されました。フランスでは祖国を救おうとした英雄として広く崇敬されるようになりました。1920年、カトリック教会により聖人に列せられました。生前の評価と死後の評価が大きく変わったことが彼女の歴史的特徴であり、歴史上の人物の評価が時代とともに変化することを示しています。
今回はジャンヌ・ダルクについてお伝えしました。平凡な少女が困難な時代に立ち上がった勇気、自分の使命を信じ最後まで貫こうとした信念、そして百年戦争でフランス王権の立て直しに大きな影響を与えた歴史的な功績が、彼女が今も語り継がれる理由です。一人の行動が多くの人を動かし歴史に残ることもある——そのことを教えてくれる存在です。