
初級11
戦国時代の武将・江戸幕府の開祖
徳川家康
編集部
1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、1868年の明治維新まで続いた江戸時代は、幕藩体制のもとで全国を統治した260年以上の平和と発展の時代です。政治面では幕藩制により安定した統治が行われ、経済面では商業や流通が発展し、文化面では庶民文化や学問が花開きました。このスライドでは、江戸時代の流れ・幕藩体制と将軍政治・身分制度と社会・経済と商業の発展など、10枚のスライドでわかりやすく解説していきます。
江戸時代の260年間は、前期・中期・後期の3つに分けて見ることができます。前期(1603〜1700年ごろ)には徳川家康による幕府成立・大坂の陣・参勤交代が行われました。中期(1700年ごろ〜1800年ごろ)には新田開発・商業の発展・享保の改革が進みました。そして後期(1800年ごろ〜1868年)には天保の改革・黒船来航・大政奉還と明治維新が起こります。260年にわたる江戸幕府の歩みが、近代日本の礎を築きました。
江戸幕府は将軍を頂点とする幕藩体制で全国を統治しました。将軍が全国支配の中心となり、幕府が政治・行政の中枢を担い、各地の大名・藩が幕府に従いながら各地を治めます。武家諸法度により大名の行動を定め、参勤交代で財政と人質を通じた統制を実施しました。また年貢や法制度で農村を管理し、寺社や朝廷との関係も維持していました。このようなしくみにより、260年以上にわたる安定した統治が実現されました。
江戸時代の社会は武士・農民・職人・商人を中心として成り立っていました。武士は政治と治安を担い、農民は年貢を納め食料を生産し、職人は道具や製品をつくり、商人は流通や商業を担いました。身分の序列は武士・農民・職人・商人の順とされていましたが、それ以外にも寺社間衆・町人・漁民をはじめさまざまな立場の人びとが社会を形成していました。
江戸時代の経済は米を基盤とし、都市と市場が大きく成長しました。年貢と米が経済の基盤となり、大坂は「天下の台所」として知られ、江戸・京都・大坂の三都が発展しました。街道と海運で物流が広がり、両替商や問屋が活躍しました。大坂から流通を通じて江戸へ米・特産物・工芸品などが行き来し、両替商が通貨や信用の取引を担い、問屋が各地の産物を仕入れて販売しました。
江戸時代には町人文化が花開き、芸術と娯楽が広がりました。17世紀後半の元禄文化は上方を中心に花開いた町人の文化で、井原西鶴の浮世草子・松尾芭蕉の俳句・近松門左衛門の人形浄瑠璃が生まれました。18世紀末〜19世紀前半の化政文化は江戸を中心に多彩な庶民的文化が展開し、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵・十返舎一九の滑稽本・歌舞伎などが大衆に広まりました。経済の発展と平和な世の中が、江戸を世界有数の文化都市へと育てました。
江戸時代の都市では、長屋に多くの人びとが暮らし商業や工芸に従事していました。商店では多様な商品や食べ物が取り扱われ、火消しが火災の多い江戸で重要な役割を果たし、祭りが地域のつながりを生み、寺子屋で読み書きやそろばんが学ばれました。一方農村では稲作を中心とした生活が営まれ、年中行事が農作業と地域の共同体を支えていました。田植えや稲刈りでは村の助け合いが行われ、農閑期には手工芸品の生産が副業として行われていました。
江戸幕府はキリスト教を警戒して対外交流を制限しましたが、長崎の出島でオランダ・中国との交易を維持していました。また朝鮮通信使や琉球・蝦夷地との関わりも保っていました。出島を窓口としてオランダからもたらされた医学・科学・砲術・地理学などの蘭学が広がり、西洋の知識が国内に取り入れられました。こうして鎖国政策のもとでも必要な限りの特定交流を行い、国内の安定と知識の積み上げに役立てていました。
江戸幕府は財政立て直しのために複数の改革を行いました。享保の改革(1716〜1736年)では将軍・徳川吉宗が財政改革と統治強化を推進し、寛政の改革(1787〜1793年)では松平定信が財政規律の再建や農村対策を行いました。天保の改革(1841〜1843年)では水野忠邦が財政再建を目指しましたが、不満や失敗が広がりました。その後1853年のペリー来航・開国・尊王攘夷運動・1868年の戊辰戦争を経て、約260年続いた江戸幕府は新しい時代への大きな転換点を迎えました。
江戸時代は、現代日本につながる文化・都市・しくみの基盤を築いた時代です。城下町が大都市に発展し、商業・流通・文化の中心となりました。浮世絵や歌舞伎・浄瑠璃などの庶民文化が現代に受け継がれ、五街道の整備や流通の発達・通貨や信用のしくみが整えられました。寺子屋の普及で識字率が高まり、出版文化が広がったことで明治以降の近代化への基盤が形成されました。今回は江戸時代の歴史についてお伝えしました。