クレオパトラは紀元前69年ごろに生まれた。アレクサンドロス大王の後継者が築いたプトレマイオス朝の一員で、王家はギリシア系だったがエジプトを支配していた。クレオパトラはギリシア語だけでなく複数の言語を使えたとされる。異文化が交わるアレクサンドリアで育ち、広い視野を身につけた。ギリシア文化とエジプト文化の融合(哲学・学問・言語とエジプトの伝統・信仰・象徴が混合した多様性・国際性)の中で成長した。
父プトレマイオス12世の死後、クレオパトラはプトレマイオス13世と共同統治となった。宮廷内の対立で一時アレクサンドリアを追われたが、軍事・外交の支援を得て王位を回復した。この権力闘争がローマとの関係を深めるきっかけとなった。クレオパトラは若くして厳しい権力争いの中で政治家として鍛えられた。
クレオパトラはローマのカエサルに接近し、自らの立場を回復しようとした。伝説では布に包まれて宮殿に運び込まれたという逸話が有名。カエサルの支援で王位を守り、政権を安定させ、2人の間にはカエサリオン(プトレマイオス15世)と呼ばれる子も生まれた。ローマとエジプトは相互の利益と支援で結ばれた同盟の構図であり、恋愛だけでなく国家を守るための戦略的な同盟でもあった。
カエサルの死後、クレオパトラはマルクス・アントニウスと結びついた。2人は政治的・軍事的に協力し、東地中海で大きな勢力を築いた。豪華な出会いや共同生活は後世まで語り継がれたが、この関係はローマ本国で強い反発を招いた。2人の関係はロマンの象徴であると同時に、国際政治の大事件でもあった。
知性・外交・演出で国を守った。高い語学力と知性で相手に合わせた外交を行い、自らを女神イシスになぞらえて王権の正統性を演出した。エジプトの富や穀物を背景にローマとの交渉力を高めた。4つの強み:語学力・知性(多言語を操り哲学・科学を理解)、外交力(ローマの実力者と同盟し国家間の利害を調整)、経済力(エジプトの豊かな穀物を活用し国際交易で繁栄を支えた)、正統性の演出(女神イシスの化身として民衆の支持を獲得)。現代では「美しさの伝説」以上に「政治家としての力量」が注目されている。
当時のエジプトはナイル川の恵みと穀物生産で豊かだった。首都アレクサンドリアは地中海交易の重要拠点で、図書館や学問の伝統により知の都としても名高かった。エジプトは穀物・パピルス・香料などを輸出し、ワイン・オリーブ油・工芸品などを受け取る交易が国の繁栄と文化の発展を支えた。クレオパトラはこの経済力と文化力を政治に生かした。クレオパトラの強さは個人の魅力だけでなくエジプトの国力にも支えられていた。
紀元前31年、アントニウスとクレオパトラはオクタウィアヌスと対決した。ギリシア西岸のアクティウムで大規模な海戦が起こり、戦いは不利となって2人はエジプトへ退却した。この敗北でローマ世界の主導権はオクタウィアヌスへ傾いた。アントニウス・クレオパトラ派はエジプト軍と東方の広い領土を持っていたが、ローマ市民の圧倒的支持を背景とするオクタウィアヌス軍に敗れた。この海戦はクレオパトラ個人だけでなく地中海世界の未来を決めた。
敗北後、アントニウスは自害したと伝えられる。クレオパトラも紀元前30年に死し、その最期は今も多くの謎を残す。毒蛇による自死の伝説が有名だが詳細は確認されていない。彼女の死によってエジプトはローマの属州となった。終焉の流れ:紀元前31年アクティウムの海戦で敗北、紀元前30年アントニウスの自害とクレオパトラの死、その後エジプトがローマの属州に。クレオパトラの死は古代エジプト独立の時代の終わりを意味した。
ローマ側の宣伝により、彼女はしばしば「危険な女王」として描かれた。近年では知的で有能な政治家・外交家としての評価が高まっている。文学・絵画・映画でも繰り返し描かれ、世界的な伝説的人物となった。伝説の側面(危険な女王・魔性の美女、ローマの宣伝によるイメージ)に対して、実像(知的で有能な統治者、多言語を話す高い教育、外交と国際交渉に優れた指導者、エジプトの独立と繁栄を求めた)の再評価が進む。政治・外交では知略と交渉力で国家の独立を守った現代的リーダー、文化・芸術では後世の文学・絵画・映画に大きな影響を与えた。クレオパトラは神話化された美女であると同時に、時代を動かした現実の統治者だった。