
中級5
既存の強者を崩す「新しい勝ち筋」
オライリー&タッシュマンが提唱した「両利きの経営」は、既存事業を深め続ける力と新規事業を探索する力を同時に持つことを求めます。なぜ両立が難しいのか、どう組織設計すれば実現できるのかを理論と実践イメージから解き明かしていきます。
変化の速い市場では、「今を稼ぐ力」と「未来をつくる力」の両方が必要です。深化だけでは効率化・キャッシュ創出・安定運営が実現できますが、環境変化に弱く将来の伸びを失いやすくなります。一方探索だけでは新機会をつかみやすく学習スピードが高い反面、収益基盤が弱く不確実性が高くなります。現在を稼ぐ力と未来をつくる力を掛け合わせることで持続的成長が実現します。成熟市場でも技術変化・顧客変化・競争変化があるため、企業は「深化」と「探索」を同時に考える必要があります。
両利きの経営は、性質の異なる2つの活動を同時に扱う考え方です。深化は既存事業の効率化・改善・利益最大化を目的とし、短中期の時間軸でKPIは売上・利益率・生産性です。標準化・再現性・最適化を重視し、失敗は減らすべきものと捉えます。一方探索は新規事業・新市場・新技術の発見を目的とし、中長期の時間軸でKPIは学習量・仮説検証・将来性です。実験・試行錯誤・柔軟性を重視し、失敗は学びの源泉と捉えます。両者はどちらも重要ですが、求められるマネジメントは大きく異なります。
深化と探索は、組織に正反対の要求を突きつけます。効率性と柔軟性、予測可能性と不確実性、標準化と実験、短期成果と長期成長、既存顧客最適と新しい顧客価値が対立します。現場では、既存事業は「確実な成果」を求めますが、新規事業は「失敗を許す学習」が必要です。同じ評価制度・同じ会議体では両者がぶつかりやすくなります。両利きの経営の難しさは、戦略よりも「組織設計」にあるのです。
オライリーとタッシュマンが提唱する「構造的両利き」は、探索と深化を分けつつ上位で統合するアプローチです。経営トップ・シニアチームが共通ビジョン・資源配分・統合判断を担い、既存事業ユニット(効率・改善・収益)と新規探索ユニット(実験・学習・成長機会)を束ねます。現場の運営は分けますが、企業全体の方向性は一つにします。重要なのは、探索を既存事業の論理でつぶさず、同時に全社戦略から切り離しすぎないことです。
企業の状況に応じて、両立の方法は複数あります。最も代表的な「構造的両利き」は探索部門と既存部門を分けるもので、大企業や既存事業との衝突が強い場合に向いています。「文脈的両利き」は同じ組織のなかで個人やチームが探索と深化を使い分けるもので、中小企業や裁量の高い組織に向いています。「時間軸の両利き」は時期ごとに重点を切り替え探索と深化を循環させるもので、事業サイクルが明確な場合に向いています。万能な一つの正解はなく、自社に合う両利きの形を設計することが重要です。
両立はスローガンではなく、仕組みで支える必要があります。短期と長期の両方を語れる経営陣(リーダーシップ)・探索に専用の予算・人材・時間を確保する資源配分・深化と探索でKPIを分ける評価制度・効率と学習の両方を尊重する組織文化・定期レビューで優先順位を調整するガバナンス・探索の学びを全社へ還元する知識移転の6つが必要です。同じ評価軸・同じ会議運営のままでは探索は弱くなりやすいため注意が必要です。両利きの経営は、戦略・組織・人事の連動があって初めて機能します。
BtoB SaaS企業の例で実践イメージを見てみましょう。既存事業の深化では主力SaaSのUI改善・営業プロセスの最適化・既存顧客の解約率改善・利益率の向上に取り組みます。新規事業の探索ではAI機能の新プロトタイプ・新しい顧客セグメントの検証・小規模PoCの実施・将来の成長エンジンの育成を行います。経営の役割は資源配分の決定・撤退と継続の判断・探索成果の既存事業への接続です。現場で重要なのは「同時にやる」ことではなく、「違う論理を理解した上で両方を回す」ことです。
いきなり完璧を目指すのではなく、段階的に設計することが大切です。まず既存事業を診断して何を深めるべきかを明確化し、次に顧客課題・技術変化・市場変化から探索テーマを定めます。そして専任チームやPoCで小さく分けて試し、収益KPIと学習KPIを分ける評価軸を設定します。最後に経営が統合し、資源配分と拡大判断を行います。最初から大規模に始める必要はなく、小さな探索を継続し成功の芽を育てることが重要です。両利きの経営は、一度の施策ではなく「継続的な経営習慣」として育てるものです。
今回は両利きの経営についてお伝えしました。既存事業の深化と新規事業探索を両立できる企業が、変化に強い企業です。両利きの経営とは深化と探索を同時に進める考え方であり、難しさの本質は両者で必要な組織論理が異なることにあります。成功の鍵は分けるところは分け上位で統合すること、実践の姿勢は小さく試し学びを積み上げ継続することです。「今を強くする経営」と「未来を生む経営」を二者択一にせず、短期成果と長期成長をつなぐ経営思想です。