香辛料・絹・金などアジアの産物への需要が高まる一方、オスマン帝国の拡大が陸路を圧迫した。ポルトガル・スペインの王権は探検に資金を投じ、商人は利益を、教会は布教を求めた。名声と冒険への欲求も航海者を突き動かした。
キャラベル船は軽量で大洋を渡れる帆船。羅針盤と天文航法(星による測位)が外洋での位置確認を可能にした。地図の精度向上と風・海流の知識の蓄積が、未知の海域への挑戦を現実のものとした。
バルトロメウ・ディアスが喜望峰を回り(1488年)、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開いた(1498年)。コロンブスはアメリカ大陸に到達し(1492年)、マゼランの艦隊が世界初の周航を達成した(1522年)。
ポルトガルはアフリカ沿岸・インド・東南アジア、スペインはアメリカ大陸を支配圏とした。トルデシリャス条約(1494年)で両国は世界を分割。イベリア半島の二大国が最初の海洋帝国を築いた。
大西洋・インド洋・太平洋をまたぐ海上ネットワークが形成された。南米の銀がアジアへ流れ、コロンブス交換(食物・動植物・疾病の往来)が世界の生態系と農業を一変させた。
17世紀にオランダ・イギリス・フランスが参入し、東インド会社を設立。貿易の独占権をめぐる海戦が繰り広げられ、覇権はイベリア諸国からオランダ・イギリスへと移行した。
スペインのコンキスタドールがアステカ・インカ帝国を征服。強制労働(エンコミエンダ制)と疫病により先住民人口は激減した。文化・宗教・言語の破壊が進む一方、混血(メスティーソ)文化も生まれた。
ヨーロッパが工業品をアフリカへ、アフリカが奴隷をアメリカへ、アメリカが砂糖・綿花をヨーロッパへ送る三角貿易が成立。推計1200万人以上のアフリカ人が強制移送され、その影響は現代まで続く。
世界のつながりを生んだ一方、植民地主義・人種差別・経済的格差の起源ともなった。近代国家と資本主義の萌芽、グローバル経済の原型がここに見られる。歴史の光と影を問い直すことが現代の課題でもある。